2013年1月19日土曜日

中国の冬旅行 上海・無錫 1月15日~18日

ミラークラスの艇を建造・開発する関連で また中国を訪れました。
前回計測したモールドは その後に使われなくなり
新しく改良したモールドを造ったために、またこれを計測しなければならないのが
この旅行の理由です。

最初は2011年7月(夏) 次に2012年4月(春)
その次は2012年12月(初冬) そして今回は2013年1月(真冬)で、もう4回目になります。

上海: 浦東空港ロビー 
1月15日に浦東空港着、所が出口にいつも出迎えに来てくれる姜君が来ていない。
30分ほど立って待っていたが その後椅子に座って待つこと30分
空港一人ぽっちで だんだんと寂しくなり 少し人間不信が芽生えてきた。
テレカを買って公衆電話を掛けると、「荒川さん、今どこにいるんですかー?」 との返事。
すると、携帯で私と応答しながら 歩いて私のすぐ目の前を 通り過ぎていく姜がいた。
そこであわてて呼び止めたのて、私と姜、其田さんはやっと合流することができた。
原因は日本との時差が1時間あるので勘違いがあり、其田さんの方も電光掲示板に
到着便の表示が 時間が過ぎて既に消されているために 大いに あわてたてようだった。
上海は海に近いためか、気温はそれほど寒くはなく 名古屋の方が寒いくらいだった。

上海の家具工場でPVCフォームをカットするための
テンプレート(合板製)を積み 無錫市(中国語では无锡市、英語:Wuxi)に向かう。

夕食は韓国料理店: 焼肉の炭火が暖かい


今 中国で流行っているのがココナッツ・ミルクの飲料

姜は朝鮮系中国人なので ここに誘ってくれた
店の経営者は韓国系だが 従業員はみな中国人

写真右:其田さん 本業は家具製造業で日本のビル建築などに入用となる木製品を
            受注し、人件費の安い中国で造って日本に輸入する仕事をしている。
            その副業として大好きなヨット製造に情熱を傾けています。
            最初は仕事柄 木造艇を建造していたが、2011年に上海ファーイーストの
            ヨット工場を見学してからは、FRP艇にも触手を伸ばしています。
写真左:姜君   其田さんの右腕、まだ29歳だが其田さんに代わって中国で
            必要なすべてを任されている。 言わば其田さんは2人羽織のように
            姜を操縦している。
            最近はヨット開発ではだんだんと其田さんの意思を汲み、
            とてもしっかりとしてきて頼もしい。


蘇州: 中国語:苏州市、英語:Suzhou
上海と無錫の間に蘇州市があり、松本さんの工場に立ち寄る。

中国の冬は スモッグのようなもので視界が悪く 日差しは届かない。

お元気な松本さん。
室内でもコートを着ているのは こちらでは一般的な姿

右のモニターは作業場を写すカメラ映像

お仕事の受注は好調で とても忙しいようだ。

無錫: 金型屋の店先にて・・
途中で1泊し、翌16日、センター・ラダーの製造に使う金型を外注している店に立ち寄った。



中国では 間口が2間(3.6m)ほどで1人で経営しているこのようなお店が圧倒的に多い。


















しかし、3次元データを自動的に削る 最新の機械を備え
金型屋の腕は いかにそれをプログラミングするかにかかっている。
私は打ち合わせ中、外で立って待っていた。





















すると写真の坊やがニコニコしながら寄ってきた。
子守のお母さんが制止しても 構わず私になにかを話しかけてくる。
本当に無邪気な子だった。

中国語が判らないので 写真を撮って画像を見せると喜んでくれた。

子供の笑顔は 私の心を癒してくれた。

『金型屋』さんの隣は『金属故物の回収業』で 坊やはお母さんと
店番をしている様子。 退屈だったのだろう。
お母さんも 私が暇つぶしに 子供の遊び相手をした事を喜んでくれた。
右後ろの台秤が懐かしい。


ラダーの金型
一度プログラミングすると あとは非常に細密な刃先で
機械は一日24時間稼働して削り続けると言う。

センターボード
店には このセンター・ラダーの金型が置いてあるのみ 非常にシンプル
其田さんは 店主のすご腕の評判を聞いてここに発注した。

奥の事務室の机にはノートパソコンが1台置いてあるのみ、

洞穴か防空壕の中のような店内、
時代の最先端と最後端?が不思議な融合を見せている。
これが中国。

無錫: 昼食





無錫市は鹿児島市と同じくらいの緯度だが
上海から西に130Kmほど内陸のため ズシンと体に 底冷えがこたえる。
上海市街とは格差が大きく 食堂の暖房はこれだけ
昔懐かしい練炭である。
しかし、日本のモノと違って 大きさが1/3くらいで
3個を入れて一つの炉としている。
1個ずつ順番に取り替えていけば、火を起こす手間がいらないとの理由からなのだろうか?


3輪タクシー:


中国の 特に地方都市で非常に多く目立つのが このタクシー。
格差の大きい中国の社会での隙間を埋めることに役立っている。

幅は極端に狭いが、後ろ2人 運転席はベンチシートなので運転手は体をずらして
横に1人乗ることができ 計3人が乗客となる。
しかし、太ったお客はちょっと苦しいかもしれないが、スピード性能以外は
とりあえずお客のニーズに応えている事に感心する。

無錫:FRPボート工場

前回のミラー・プロトタイプは蘇州の松本さんの工場で場所を借りて建造したが
松本さんは今、大量のカタマラン・ヨットの受注で手一杯なので、今度のプロトタイプは
こちらの職人さんの協力で建造している。

しかし、ミラー級のような小型ディンギーは軽量化(外板を薄くすること)が必須なので
日頃の彼らが建造しているボートとはすこし勝手が違うようだ。

庭には魚の干物やソーセージが干してあった。
後方のレンガで造られたものは大きなボートの船台。

工場の内部、並んでいるのはアフリカから受注した漁船。
右手前がミラーディンギーのデッキのモールド。
雪が降っているように映っているのは 工場内の粉塵で、
目には全く見えないがフラッシュで撮影すると このように映る。
漁船を重ね積みするクッションに藁を使っている。 
日本とは違う感覚だが間違ってはいない。


これは風力発電装置の一部らしい。
女性の職人さん一人が 狭い穴から中に潜って横になって作業している 。
職人さんは男性・女性がほぼ半数ずついるが、同じ場所で作業はしない
作業区域が2つあり、区域別に分かれて仕事をしていた。

この写真のようにフラッシュを使用せずに撮れば粉塵はまったく映らない。


こんな船も造っていた。

ミラー級ディンギーの計測: 

これがミラーの船底モールド(雌型)

作業を容易にするために回転台に載っている。
もちろんミラーの建造専用に 製作したものだ。
前回(2012年4月)のプロトタイプでは 手造りで木製の実物大模型(ミラーの雄型)を造り
それを基に手造りでモールド(FRPを成型する雌型)を製作したが、細部の完成度をより高めるために
今度は 3次元データを入力するための専用パソコン・ソフトで其田さんが設計図面を作り、
そのデータから自動的に モールドを機械的加工して造る業者に外注するとの
現代技術の最先端の方式で、新しく製作した。
そのために一つのモールドにつき最初の完成品(プロトタイプと呼ばれる)を
IM(国際計測員)が計測して、クラスルール通りに作られたことを確認するために
資格を持つ私が必要なのだ。


FRPの材質を表すガラス繊維の配布  写真(上)
強度が必要な部分にはPVCフォーム(圧縮に強い発泡材)を入れて
強度を確保しながら軽量化する手法が取られる。

PVCフォームの厚さは8㎜

1枚のPVCフォームから効率よくカットするために合板のテンプレートを使う。


モールドから抜いたプロトタイプ(1号艇) 。
手前右のアーチ状のものはスピンシューター(オプション)。

無錫のホテルに宿泊:
その日は無錫宿泊となり
最初のホテルではパスポートを見せると 日本人と言うことで断られた。
『すわ 反日差別運動か?』 と思ったら そうではなく
中国ではあまり高級ではない宿泊施設に 外国人を泊まらせない、 との行政指導が行なわれているようで
理由は: 外国人には程度のよくない施設をあまり見せたくはない。
      外国人ならばお金を持っている筈で、高級に泊まらせて外貨を稼ぐ。
の2つが考えられる。  他にも中国人と外国人では料金が違うシステムは多く見られる。
中国人は必ず身分証明書を持ち歩かねばならず、宿泊時にはそれをフロントに見せることで
外国人か自国人かを見分けることができる。
裏話では、何度も宿泊してホテルと顔なじみになった場合には、
日本人でも自国人並みの料金待遇で扱ってくれる場合もあるらしい。
そんなわけで写真はやや高級なホテルに着いたところで、 ここは外国人の宿泊はOKだった。

こちらでは暖房の事情が違い、室内でも屋外と同じ服装をする場合が多い。
このフロント受付の女性もコートを着たまま仕事をしていた。

無錫1月17日:


前回は浮力の確保を水密区画を造り、気密度を 減圧テストする方式を取ったが、
この方式では衝突などで艇に穴が開いた場合には、複数の区画を採用しているので
すべての区画に水が入り沈没することがあり得ないとの想定で設計されている。
  (何かの原因ですべての区画の気密度を失えば 沈没の可能性は残る。)
しかし、クラスルールでは区画内に浮力材(発泡スチロール)を入れて同じ不沈目的を達成してもよい事になっているので、今回はより安全確実で簡易な この方式を採用することにした。
  (ただし、発泡スチロールの重量分が重くなるのがマイナス要因。)



今回の問題点は重量管理。 クラス規則は45.5kg以上であり
前回は49kgであったが、今回のこの艇は60kgにも達してしまった。
もちろんクラスルール上は合格だが、艇の完成品としては魅力が半減する。
OPと同じく、ミラーも原設計が木造艇であり 木はFRPより比重が軽く水に浮く、
FRPは水に沈む重さだが 強度に”余裕”があるので同じ重量で建造するには
”余裕”分をそぎ落として薄くし 同じ重量としなくてはならない。
原因はこの工場の職人さん達にはこのタイプの小型艇は初めての建造なので
これまでの大型艇での経験の常識と、初めてと言う事で念入りに造り過ぎた結果こうなってしまった。
現在バキューム・インジェクション工法をテストしており、今後に活用を検討する。
しかし、ファー・イースト工場のOP建造工程を見学した時はバキューム工法は採用されておらず
職人が手作業で樹脂のローラー押さえ作業をしていた。
この理由は、バキュームでは大気圧を利用するために人手はかからないが時間がかかり
1つのモールドから大量生産するためには向いていない事があげられる。
そのため人件費の安い中国では 職人を熟練させる事で、手作業の大量生産の方が より利益を上げ易いのだ。

ここのミラーの場合にはそれほど大量量産するわけではないので 2つの方式を今後に比較検討するとのこと。


Epilogue (結び): 



仕事を終えて無錫の工場から上海に戻り 都心の外灘(バンド)で夕食を取った。 
外国人も非常に多く 明らかに他の中国の都市とは全く違った国際的な雰囲気が漂う。
文革後の開放政策を経て、今ここは世界の中心の一つに発展したと言っても過言ではない。
東京の人口が1,300万人に比べ 上海は2,400万人と倍近くで、首都である北京の2,000万人をも抜く。
私は日本人でもあるが、アジア人でもあるとの視点からは ここがアジアの中心(中京)であり、北に『北京』、南に『南京』(あるいは『シンガポール』)、東に『東京』Tokyoが存在しているとの位置付けの概念も成り立つ。
国際社会に馴染むには グローバルな意識を育てる必要なので 「日本人」の他に「アジア人」でもあるとの 2つの物事の考え方を使い分ける事が重要と考えてしまう。
言い換えれば、アジア国の日本県に住んでいるので、郷土意識は日本県の愛知市にあるが
世界に対してはアジアの仲間・同胞との共同の意識を持ちたいし、
ユーロ圏のEUのように、 アジア圏にAUと言った機能が構築されれば将来の関係改善に繋がるのではないかと思う。

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日本に帰り テレビなどで中国・アジアについての報道がされる時、中国で私が経験したこれらの見聞が  いつも、ほどよく報道の内容を和らげてくれます。
ヨットの練習コースを設定するときにアンカーロープが縺(もつ)れてブイを打てずに困ることがあります。
同じように 過去にあった歴史の中からの 縺れた糸を解くことは、それほど難しいのでしょうか?
答えは、あの金型屋で 人懐っこく 近寄ってきた坊やの表情にあると思います。
何の怖れもなく 希望に満ちて 人を信じる勇気を 私に教えてくれた あの笑顔です。






過去ログ:  
         ミラーディンギー/中国旅行記 第1話   2011.07.9~11 
http://kaiyoh2club.blogspot.jp/2011/07/blog-post_12.html
初期にはスペースが狭かったので No.1~No.13 まであります。
 No.8 ~ No.13 にファーイースト社のOP建造工程が写真で説明されています。


          ミラーディンギー/中国旅行記 第2話   2012.04.19~21
http://kaiyoh2club.blogspot.jp/2012_04_01_archive.html
   1/2 ~ 2/2


          ミラーディンギー/中国旅行記 第3話   2012.12.15~19
http://kaiyoh2club.blogspot.jp/2012/12/110_19.html
   1/5 ~ 5/5


2013年1月15日火曜日

光ゴアテックスニューイヤーレガッタ4

温かいうどんは冷え切った体にはありがたいです。
光の皆さん大変お世話になりました。

最後に綺麗な虹が現れました。

2013年1月14日月曜日

光ゴアテックスニューイヤーレガッタ3

2日間で10レース
晴れ&雲&大雨の寒い中、選手5人&サポートのおやじ〜ず、最後まで頑張りました。

2013 初セーリング/1月13日 その 2 新人くん



私も60歳を過ぎ、
今では 新しいヨット仲間 が増えることを 何よりも楽しみにしています。


















特に ご両親が ヨット系でない場合には、
何故か喜びもまた ひとしお 感じさせられます。


この1月の震え上がる寒さ の海 に ドライスーツを買ってまで
セーリングに いそしみ始めた 少年がいる。 

朝は風が強かったが 昼には風も落ちてきて
陽介クンも 午後からは レース海面まで出てきた。
既に今日のレースは終わって、本部船はアンカーを揚げている。





こんな我々にとっては 
なんでもない光景も
無垢な 彼にとっては 
興味津々に違いない。



真栄平コーチは 艇を私のコーチボートに近づけさせた。
もう 一人で乗れるから 単独でセーリングさせるつもり。













それゆけ! 陽介クン。
向こうの Bクラスの仲間の
ところまで。


この アビームの走りで セーリング フォームを見てください。
これは、期待できそう・・・

Bクラス・コーチボートの 村田パパと 木村ママ。
このグランパスJr.は 今までよく働いてくれたが
さすがに近くで見ると もう 艇の「寄る年波」には勝てず  どこか痛々しい。


レース艇は もうとっくにハーバーバックしているのに
私はまだ昼を食べておらず、艇を交換して グランパスJr.に乗り換えて帰港するつもり。
クリスティーナに乗り換えたBクラスの大人達は 「金の卵」 新人クンを追う。


早くうまくなってよね 陽介クン。

このあと練習を続けて、最後には また沈をしたようでした。
新調したドライスーツは、成長期のため大きくなっても着用できるように
サイズを大きめにして購入したので 手首・足首の密着が不足して
冷たい海水が入ったようでしたが、
ひるむことなく 元気でした。

一方 私のほうでは  この写真の後にハーバーのポンツーンに着岸するときに
エンジンのリモコンレバー・セットがポロリとデッキに落ちてしまい あわてた。
艇は微速前進したままで 落ちたリモコン・セットを拾って 焦ってニュートラルにしても
エンジンのドライブは切れない!
メイン・スイッチを切ればいい事に気が付くまで、しばし 醜態をさらしてしまった・・・・・。