2013年4月15日月曜日

春の 奈良・京都 2013.4.13-14

シンガポールの リンさん との2日間の旅 

The 2day's Trip with Miss Ling Ying from Singapore

 シンガポールのナショナルチーム監督のリンさんが名古屋にやってき来ました。
  この日 お天気は最高!! 日頃の心がけがいいと、まあこんなもんです。
                       4月13日(土)名古屋城    

今、研修で日本(東京)に90日滞在中なので
この機会に一度会おうと約束しましたが、なかなか実現せず、桜の花見を一緒にしようと計画したけれども、お互いの日程が一致しません。
残念ながら桜はもうほとんど散ってしまったけれど、やっと会えることができました。
新幹線の名古屋駅で10時に待ち合わせ、まず春麗(うらら)の名古屋城を散策してから
蒲郡、海陽海洋クラブに到着しました。

海陽ヨットハーバー
 
ちょうどスプリングジュニアカップのプラクティス・レースをしていたので レース・ウオッチング。
明日の本番を控えて、なごや、海陽、浜名湖など各クラブが 集まっていました。
 ふうちゃん(小3)にとってはちょーっと強い風、 スタートに出遅れてアセリのセーリング。
 
 お父さんも心配で
追っかける。
 下マーク トップは 仁くん、続いて航大くん、蜂須賀くん。 この3人が他を大きくリード。
次のグループは、石川航くん、三浦凪砂ちゃん。
直暉くん、児玉くん、菅沢くんもガンバっています。

ハーバーに戻って クラブのママ達と交流、リンは日本語が上手なので話が弾み、すっかりうちとけた。  夜は一席設けて中華料理店『昇竜』に集合した。
蜂須賀ママは世界選手権で晋之介くん達NTのサポーターとしてイタリアに行く予定、女性同士のリンさんがいるのは何かと心強いので、いい人に巡り合えたようだった。


     4月14日(日) 滋賀県 大野神社         

私が、「なんでもリクエストをしてね。」 と書いたら、リンの返事は「大野神社へ行きたい。」
えっ? なに、それ? 日本人でも聞いたことがないよ。
実は彼女は『嵐』の大ファン。 ここは『嵐』ファンにとって聖地なのだった。




「この山門は1,000年前、少なくとも900年前から建っている貴重なものです。」 とイケメン禰宜の大宮聰さんは親切に教えてくれた。

早朝、7時に蒲郡ホテルを発ったせいで、新名神の信楽インターからの近道もあり、10時には到着したので、ファンでごったがえしていると想像していたら、わずか数人がいたのみ、リンがすごく会いたがっていた大宮さんを独占できたのは、何よりも幸せだった。
リンが日本語を覚えたいと思ったキッカケは 嵐が好きになって ビデオ(日本語)が何を言っているのか意味が知りたかったからだと言う。   私は2011年にシンガポールでOPアジア選手権があった時に、計測のチーフとして招聘されて、チャンギ―空港に降り立った。が、機内に眼鏡を忘れたのに気付き、係りに告げてゲートから出ずに戻ってくるのを待っていた。 ビンセントと言うシンガポール・セーリング連盟(SSF)の職員が外で出迎えで待っていたが、私が出てこないので心配したらしい。 私の方は いきなり日本語で「アラカワサン今どうしていますか?」とケイタイ電話がかかってきてびっくりした。 事情を話して安心させたが、口利きをしたのがリンだった。 それ以来、海外のレースで会うので親しくなった。



なんでも、嵐の5色と言うのがあるらしくて それを使わないと正式ではないようだ。
それほど大きくなくてこじんまりとした神社だったが、かなり古い歴史を感じさせた。 女子ファンを意識して あちこちに花などがいっぱい あしらってあった。 「日曜日には1,000人くらい来ますよ。」と大宮さん。
静かな時に来て、あーよかった。



リンも5色のマーカーで 願をかける。
 
 
次の目的地・平等院に向かう。 道は空いていて時間はたっぷりとある。
実は、京都に昔馴染みの松永さんと言う方が住んでいて、過去に彼の道案内で京都・醍醐の花見を楽しんだ経験があり、リンをどこへ連れて行こうか迷ったが、最終的には松永さんに頼るしかなかった。 彼のお勧めの『平等院』へ行き、駐車場に入ると、お兄さんが「今、平等院は改修工事中で、幕が張られており、外からは見えない。それでもいいですか?」 と 親切にアドバイスしてくれたので、パスした。 代りに行く場所を考えていると、リンが奈良に鹿がいてせんべいを食べさせるのが面白いと言うので、車を南に向けた。
 
 
  奈良             東大寺・大仏
さっそく せんべいを渡すと、鹿が寄ってきておねだりするので
リンはびっくり、「これって野生のシカでしょ、 動物園の囲いの中にいる鹿しか知らないわ。」 
 
怖いヨ、あっちへ行ってちょうだい。
 
南大門
 
大仏殿
リンさんの紹介 
シンガポールセーリング連盟(SSF)の職員です。 SSFのスタッフにはhttp://www.sailing.org.sg/aboutus/staff.php 20名ほどのフルタイムがおり、給料は政府が支払っている。 しかしSSFは裕福とは言えず、大会の遠征費用などは政府は面倒を見てくれないらしい。
SSFにはHigh Performance(上級クラス)とHigh Participation(普及クラス)部門があり、彼女はハイ・パーフォーマンスの経営担当、OPの監督だったら遠征のない普段は暇なのではないか?と質問すると、OPクラスだけではなく、すべてのクラスを担当しているので、470、420、レーザー等の遠征や大会参加のアレンジ、選手のケアなどをすべてこなしている。 時にはヨーロッパでレンタカーで艇をトレーラーで牽引して 1日1,000㌔の移動もあると言う。 本国にいても遠征各地からの選手のトラブル(飛行機の乗り継ぎ失敗など)の電話が繋ってきて、その解決(レース・スタート期日にどうやって間に合わせるか)に努力している。 今年1月に上司から「日本に行かないかい?」と言われ、スポーツ振興事業でJOCのメダリスト・タレント発掘プログラムのために交換研修員として2月に来日した。 日本からも誰か(他のスポーツ種目)がシンガポールに行っているらしい。 JOCの仕事の同僚は6名ほどで、全員がセーリング以外の種目の日本人、メダルを目指して活躍したが30代を前にして引退した人もいて皆若いらしい。 内容は、メダリストを育てるために 早い時期からその競技に最も適した育成方法を研究する事。 観光ビザの枠いっぱいの90日間滞在する。
 
 実は、彼女と2日間おつきあいしたのは、シンガポールと私との過去の交流があり、いろいろな人たちから親切にしていただいた答礼と共に、かの国のセーリング事情を色々と教えてもらいたかったためでもあった。  長男が小5の時(1990.1月)には、OPアジア選手権はまだ始まっておらず、横浜ワールドで集まったアジア諸国の指導者たちが、ワールドのような素晴らしい大会をアジアでも開催したいと決意して、シンガポールが主唱して準備ミーティングが行われた。 その時に一緒にコーチ・セミナーが開かれたので、私は、まだその頃はほんの駆け出しだったが、受講し、長男もセイラーとしてクリニックに参加した。 この印象がとても素晴らしくて、私はますますOPにはまる事となってしまったのだ。 その時長男と同年でTan Wearn Haw(タン ワン ハウ)さんがいた。彼は当時から才能が光っていて 誰からも一目置かれていたが、第1回OPアジア選手権(Singapore)では優勝してる。 長男も第3回選手権(Thailand)で優勝したので、その後も親交があり、470になっても各地で会い、また、現在ではクルーザー・レースで顔を合わせるらしい。 彼は今では、シンガポール・セーリング連盟のトップの一人となり、弱冠35歳ではあるが、組織を率いている。 そのほかにもいろいろな人が私の頭の中にあり、今どうしているとか、一人ひとりを話題として、知りたかった詳しい事情を教えてくれたので、私の知識欲はリンによって満たされることとなった。
 
 
 
 
京都                         醍醐寺


例年風景
松永さん(彼の次男はオリンピック・セイラーであり、第4回OPアジア選手権(Hiroshima)で優勝した。)のお勧めであり、私もお気に入りのスポット・醍醐寺。 普通の年ならば、今が満開後の桜吹雪を味わえるタイミングなのだが、今年は10日早く咲き、散るのも10日早いので 季節の催し物スケジュールも自然の気まぐれに合わせることができず、往生したことだろう。


 まず、三宝院に入ったが、ここは全面的に写真撮影禁止。 立派な庭や、書院も映像は頭に中に収めるしかない。 その時、外から鳴り物入りで行列がこちらに向けてくるのに気付いた。
豊太閤花見行列(ほうたいこうはなみぎょうれつ)と呼ばれるもので、三宝院の庭がが終点なので私たちが庭を眺めてる その縁台に向かって近づいてくる。 そして隊列は止まり、記念の集合写真を撮影する一部始終をすべて見る事を、偶然ながらその一番前の特等席にいわあせたのだった。 素晴らしい天候と言い、大野神社の空き具合と言い、この偶然の見物と言い、リンはどこまでラッキーなのだろうか。 この『偶然』こそが最高のホスピタリティーだ。
平安時代から「花の醍醐」と呼ばれるほどの桜の名所です。この時期、世界文化遺産の境内を背景に枝垂れ桜、染井吉野、山桜、八重桜など1000本の桜が順番に咲き誇ります。
豊臣秀吉が行った歴史上有名な花見といえば、「醍醐の花見」。
慶長3年(1598)の春、秀吉は花見に際して畿内から700本の桜を植え、三宝院の建物と庭園を造り、盛大な宴を開きました。息子・秀頼や正室・北政所(きたのまんどころ)、側室の淀、三の丸など女房衆1300人余りが参加したといわれています。この故事にならって、毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」が開催され、終日境内は賑わいます。










金堂、右の傍らにある桜が 風が吹くと桜吹雪となった。 
桜吹雪を待って立っていたが、なかなかタイミングが整わない。
茶屋では抹茶を一服所望した。

花もいいのですが、この季節は新緑が素晴らしい。 リンもさまざまの鮮やかな緑色に感服。

 
 

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