2011年8月2日火曜日

7月26日 私の休養日(チーム・レース日)


今日はチームレースの日、
前日の夕方、アルシャドに「私はどうしたらいいのか?」と聞くと、
「あなたの好きにすればいいよ。」と言ってくれたので、
チームレースも見たかったが、レース前計測~5日間の激務で
体はもうガタガタだったので、残り2日のために、体を調整する
ことにした。 送迎バスで出かけていくチームを見送りながら
ベッドで寝ていた。


チームレースに参加できるのは、メンバー国だけ、また、
4名以上でなければチームは組めない。オープン参加国は
観戦か観光に行ってしまって誰もいない。
4日間いたNSCの4号室から、シティ・ビーチ・リゾートへ移った。
写真、2Fの左角の部屋に私は6日間滞在した。


誰も残っていないと思ったら、キリギスタン・チームがいました。
話をすると、ファミリーではなく、れっきとした国に雇われたコーチと
育てた選手との事、キリギス共和国は、ソ連邦解体後に独立し、
小国なので、国民を元気づけるには、
国がスポーツ発展に力を注ぐ、との方針です。


海外ではほとんど自販機を見かけません。
敷地内にあった! と思ったら、日本の中古輸入品でした。
コイン投入口には、日本語で「おつり・返却」と
日本のコインの種類表示がそのまま残っていました。


この日は風待ちで、時間がかかり、暗くなるまで海上にいたそうです。
誰も返ってこないので、MYAチームと夕食を共にしました。
コーチはやはり国から給料をもらっており、
2,004年のJJYU国際交流大会には選手を連れて蒲郡に来て、
その時の私を覚えている。との事でした。

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